3日、女子高校生の愛娘を極めて残酷、卑劣な手口で殺害されたご遺族がSNSの投稿などによって何度も感情を傷つけられ、侮辱されたとして、罷免(やめさせること)を求めていた岡口基一判事の弾劾裁判が行われ、「罷免」が決まりました。そもそも裁判官は、病気などでない限り、不祥事を起こしても弾劾裁判の「罷免」判決がないとやめさせられません。

2日には、静岡県の川勝知事が問題発言で辞意を表明しました。4日には、自民党の裏金議員の処分が決まり、次期選挙で厳しい審判を受けます。そのような政治家と違い、なぜ、裁判官の地位は手厚く守られているのでしょうか。それは、憲法が裁判官に対し、国家権力の暴走を食い止め、少数者の基本的人権を守る役割を与えていることに由来します。

この「憲法の番人」としての役割を、それぞれの裁判官が十分に果たせるようにするには、裁判官が最高裁や政府など権力者の意向を忖度せず、自分の意思で独立して裁判を行えるようにする必要があるため、裁判官の地位は守られているのです。その憲法上の唯一の例外が、国民の代表者たる国会議員から選ばれた裁判員が行う、弾劾裁判なのです。

今回の岡口判事の弾劾裁判で、私は主任裁判員として、「事件の審理に終始関与し、裁判の評議に基づき裁判書(判決文)の案文を作成する」任務を負っていました。過去に裁判官が罷免された例は7回。その大半が刑事事件で有罪となった裁判官に関するもので、裁判員からすると比較的判断しやすいものでした。しかし、今回は、刑事事件とは無関係で、裁判官によるSNSを使った表現行為が問われた、前例のない非常に難しい事件でした。

そのため、事件を審理する公判手続きは過去最多となる16回に及び、訴追から判決まで3年近くかかりました。判決後の記者会見で船田裁判長が述べた通り、衆参12名の裁判員から様々な意見が出され、ぎりぎりで「罷免」が決まりました。

このような難しく微妙な判断を、判決文にどう反映させるか、主任裁判員として非常に悩みました。そうした中で、①問題となった行為が13個もあったため、それらの具体的内容や各行為の結びつきなどを、岡口判事の認知上の特性も踏まえて丁寧に判断すること、②裁判官を罷免できる要件として、法律上は「著しい非行があったとき」という漠然とした文言しかないため、その意味を明らかにすること、③裁判官がSNSを使って発信する場合も、権力者に委縮せず「憲法の番人」としての務めを果たせるようにすること、を強く意識しました。

裁判長による2時間以上も続いた判決文の朗読の後、遺族側や岡口判事側から様々な反応がありましたが、私自身は、主任裁判員の責任を果たしたと胸を張って言えます。