1年延期とされた東京オリンピックとパラリンピック。本来であれば、24日に行われる予定だったオリンピックの開会式に合わせ、全世界から「GoTo東京」となるはずでしたが、今はまったく逆の状況です。

23日、池江璃花子選手が無人の国立競技場で語った、「1年後の今日、この場所で希望の炎が輝いて欲しい」という思いに共感します。同時に、1年後にコロナが終息しているとは考えにくく、開催できたにせよ、人類がコロナを克服する戦いの中での大会になるでしょう。

逆境の中で希望を見出す大会にするには、この大会が「復興五輪」として招致されたことに立ち返るべきです。東日本大震災の甚大な被害に屈せず、国内外の多大な支援を得て、復興に向けて歩んできた被災地の姿を世界に伝える機会にしなくてはなりません。そうすれば、コロナ禍で大きな打撃を受けた世界中の人々が未来に希望を持てる大会になるはずです。

ところが、今の政権は、1年延期後の「復興五輪」にどのような意味を持たせるかなど、まったく関心がなさそうです。復興庁のウェブサイトに掲載されている「『復興五輪』に向けた取組」という文書は、延期が決まる前の2月に作成された内容のままです。17日に政府の復興推進会議が決定した「令和3年度以降の復興の取組について」(復興の取組)を見ても、どこにも「復興五輪」という言葉が出てきません。

そして「復興五輪」に限らず、今回の「復興の取組」に、まったく政府の本気度が感じられません。この「復興の取組」は、震災から10年の復興期間が今年度で終わることを踏まえ、来年度以降の5年間に何をやるかを定める重要な政府決定です。しかし、原発事故の被災地域に関する記述が中心で、地震・津波被災地域の復興に関しては、極めて乏しい内容でした。

復興庁の出先機関である「復興局」を盛岡、仙台から沿岸部に移す方針が昨年暮れに決まっていますが、いまだにその場所が決まっていません。法令や税制の特例が認められる「復興特区」の対象地域の見直しも結論が出ていません。人口減少や産業空洞化という重要課題については、地方創生の施策を活用することとし、復興庁の新たな施策はありません。具体的に決まったのは、復興期間を5年間延長して15年にすることと、今後5年間の事業規模を1.6兆円(うち岩手分は1千億円)とすることぐらいです。

このような中途半端な姿勢で「復興五輪」を開催しても、世界の人々に希望を与えられるとは到底思えません。政府が「復興五輪」を本気で実現したいなら、まずは「復興」の完遂に全力で取り組むべきです。