あの未曾有の災害から丸9年が経ちました。11日は岩手県と合同開催となった釜石市の追悼式に参列しました。新型コロナウィルスの感染予防のため、昨年より規模や時間が縮小され、参列者はマスク着用を求められる異例の式でした。

さらに残念なことに、政府の追悼式は中止になってしまいました。コロナ問題を契機に、被災地への国民の関心が薄れ、復興への取組みが減速することなどあってはなりません。震災復興については、震災当時から携わっている数少ない被災県の議員として、引き続き国会で積極的に発言してまいります。

そのような決意を抱きつつ、前日の10日は復興特別委員会で質疑。田中復興大臣に対し、被災地の人口減少を食い止めるための移住の支援策と、災害公営住宅等に入居した被災者が安心して長く暮らすための定住の支援策について、いくつか提案しました。

まず「移住支援」については、①被災地の中小企業が被災者を雇用すれば一人当たり120万円が支払われる雇用助成金を、移住者を雇用した場合でも支給することや、②都市部の若者が地方に移住するきっかけとなっている「地域おこし協力隊」と似た制度である「復興支援員」を、必要に応じて見直して被災地への移住者の増加につなげることを提案。

田中大臣は、移住支援について、「一番重要なことだ」としつつも、従来の支援がどのような実績を挙げたかについては把握していませんでした。私からの制度改善の提案に対しても、「実の上がるようにする」とは言うものの、具体的にどうするかは不明でした。

さらに「定住支援」については、③災害公営住宅の家賃が入居後3年ほど経つと所得に応じて値上がりし、現役世代が転居する理由となっているため、自治会等の活動に積極的に参加することを条件に家賃を減免する仕組みや、④見守り活動や集会所の運営などにより被災者の孤立を防ぎ、生きがいづくりに貢献してきたNPOに対し、国の支援を継続することなどを提案しました。

田中大臣は、定住支援について、「まちづくりには若い人たちの力が、また未来に向かっての継続性が非常に重要だ」としつつも、私からの提案に対しては、「被災自治体と力を合わせて頑張る」と答えただけ。また、「被災者支援はどういう状態になったら完了するのか」という質問にも、まともに答えられませんでした。田中大臣には、残念ながら復興庁のトップに「定住」する資格はなさそうです。自らにふさわしい場所に、一刻も早く「移住」して欲しいと思いました。