11日、釜石市で行われた「東日本大震災犠牲者追悼式」に参列しました。今回は盛岡事務所で学んでいる大学生インターン3名の希望により、地元の小野共県議会議員にご案内頂きながら、追悼式の前に一同で大槌町や釜石市の鵜住居地区に伺いました。

大槌町では、先日解体された町役場の近くに昨年6月にオープンした文化交流センター「おしゃっち」を見学しました。2階の「震災伝承展示室」に掲示された、わずか1分で町が津波に飲み込まれたことを示す写真は衝撃的でした。岩手県の震災による死亡者の2割、行方不明者の4割は大槌町関係者だそうです。その方々の在りし日のエピソードをつづった本も置かれていましたが、その分厚さに驚かされました。

鵜住居では、この日から一時利用が可能となった追悼施設「祈りのパーク」で献花を行い、隣接する「いのちをつなぐ未来館」で、地元の中学生として津波からの避難を経験し、この施設の職員に内定している大学生「菊池のどか」さんから避難時の状況を詳しく聞くことができました。「巨大地震の恐怖におびえつつ小中学生600人が自発的に避難し、800m先の避難場所に移動。津波の危険と移動先の安全を考えながら、さらに800mも高い場所を求めて移動を重ね、付近の住民と合わせて800人が助かった。」

このことは以前から報道で知っていましたが、本人から当時の状況などを聞き、改めて「奇跡」と感じました。同時に、「いのちをつなぐ未来館」は震災前に「防災センター」があった場所でもあり、ここで多くの住民が亡くなっています。釜石東中で「防災教育」を受けていなければ自分も死んでいたはず、という菊池さんの言葉には強い説得力がありました。

その釜石東中学校の跡地にはこの秋にラグビーW杯が開かれる「鵜住居復興スタジアム」が建てられ、本番に向けて貴賓席の工事などが行われていました。昼食をとるため、近くの老舗旅館「宝来館」に立ち寄りました。最近のNHKスペシャルで、復興特需が終わって資金繰りが厳しくなっていると伝えられていましたが、おかみさんはいつも通りの笑顔で迎えてくれ、一安心しました。

震災と大津波から8年が経っても、内陸に住む私のような人間にとっては、沿岸の被災地を訪ねる度に「その時、何が起きていたのか」、「現在、何が起きているのか」について新たな気付きがあります。今回もインターン生と共に多くのことを学び、震災復興の重要性を再認識しました。同時に、岩手にはいなくなってしまった、自らが被災し、被災地の過去と現在を正確に捉えている方を再度国政に送り出す必要があると痛感しました。これからも「復興完遂」を目標に、同志と共に全力で頑張ります。