早いもので今年も残すところあとわずかです。政治の世界は、国内外とも目まぐるしく、かつ、見苦しい動きが目立った1年でした。その原因は、政治家の無責任さにあります。政治家の「無責任」は三つのパターンに分けることができます。
第一に、責任を取らないという意味での無責任。昨年の衆院選、今年の参院選と二度の国政選挙で惨敗した石破前首相は、それでもなお自民党総裁と総理大臣の地位を守ろうとしていました。結局、自民党内の反発を抑えきれず退陣しましたが、「石破おろし」に加わった政治家の中には、「裏金議員」もいました。脱税や虚偽記載の疑いを受けながら、ろくな説明もしておらず、石破前首相以上に無責任だと思います。
そして、「裏金」の要因である企業団体献金の廃止を声高に主張しながら、まずは「定数削減」をやると言って連立政権に参加した日本維新の会の吉村代表。先の臨時国会ではどちらも成果が得られなかったのに、平然と連立を維持するのも無責任です。
第二に、責任を取ったふりをするという意味での無責任。昨年の兵庫県の知事選挙もそうでしたが、不祥事の責任を取って辞職や失職をした首長が再選挙に出馬する事態が相次いでいます。学歴詐称疑惑で議会から2度の不信任決議を受けて失職した後、出直し選挙に出馬して敗れた前伊東市長の田久保氏。部下との不倫疑惑で辞職した後、出直し選挙に臨む前前橋市長の小川氏。本当に責任を感じているならあり得ない対応です。
第三に、責任を感じないという意味の無責任。本来なら側近が過ちを指摘し、責任を感じさせるべきですが、こういう政治家の周りには大抵イエスマンしかいません。本人は「裸の王様」であることに気付かないまま、やりたい放題です。その典型が2度目の就任となったトランプ大統領です。世界のリーダーとして自由や人権、法の支配を守るべき立場なのに、これをわきまえない言動で世界の経済と平和を危うくしています。
現在、地元で掲示している私のポスターのキャッチフレーズは「責任ある政治。」です。高市首相が「責任ある積極財政」を言い出す前から、使っています。あえて最後に句点の「。」を付けたのは、無責任な政治を一掃したいという強い決意を示したかったからです。
最近は、SNSで送る文の最後に「。」を付けるとハラスメントとされる、「マルハラ」と言う言葉があります。言い切るよりは、曖昧な表現が好まれる傾向もあるようです。この風潮を悪用しているのか、無責任な言動をとる政治家が引きも切りません。「責任ある政治。」の小さな「。」を大きな「〇」に感じてもらえるよう、来年も全力で頑張ります。