しなたけし物語

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しなたけし物語2017-01-15T00:00:02+00:00

しなたけしは、1966年に盛岡市の病院で生まれました。父・正、母・静子、2人兄弟の長男として雫石町で育ちました。

小さいころは本やマンガが大好きで、雑学博士でした。小学6年生の時には、当時人気のあった「ベルトクイズQ&Q」というテレビ番組にも出場しています。人前でも物おじしない性格で、雫石小学校の児童会長を務めました。小学校の卒業文集の同級生による人物評コーナーには、「将来は銀行員、弁護士、政治家?」と書かれていました。

小学3年から野球を始め、6年からリトルリーグで硬球を握り、ピッチャーで4番を務めたこともあります。中学1年の終わりから、新聞配達を始めました。冬はマイナス20度にもなる日本有数の寒冷地帯。早起きと寒さに耐え、卒業するまで続けました。

文武両道を志し、1982年に地元の名門、盛岡第一高校へ進学。夏の甲子園出場9回を誇る名門野球部に入りました。厳しい練習と固いチームワークで甲子園を目指し、高校1年秋には県大会ベスト4進出。印象に残るのは、高校3年夏の最後のピッチング。県大会3回戦で敗れたものの、準優勝した一関商工(現一関学院)を相手に5回をノーヒットに抑えました。

甲子園の次は、東大合格を目指します。東京での2年間の浪人生活を経て、3度目の正直で、1987年に東京大学(文科Ⅰ類)入学。駿台予備校の寮で苦楽を共にした仲間とは、今でも交流が続いています。

東大野球部時代東大でも野球部に入部。今度は、神宮の星を目指しました。プロ野球ロッテ入りした小林至投手と同期で、2年春から先発投手を任されました。将来のエースを嘱望されていましたが、肩を壊してしまいます。通算成績は0勝5敗、防御率4.51。チームも東京六大学リーグ通算200勝に王手をかけてから、まさかの70連敗。しなたけしは、逆境に耐えることを学びました。

1991年に東大法学部を卒業し、日本長期信用銀行に入行。男社会でもまれてきたこともあり、女性ばかりの職場に戸惑いながらも、池袋支店の法人営業担当として、新規開拓に取り組みました。毎日、飛び込み営業を続けながら、得意分野を持とうと司法試験の勉強を始めました。

1994年、本店の資金財務室へ異動。政策株式担当として時価3兆円のポートフォリオの運用を担当しました。市場の動きを毎日ウォッチしながら、決算近くになると毎日数百億以上のお金を動かしていました。銀行の経営が傾く中で、市場から目が放せないハードな日々。その傍ら、証券アナリストの資格をとり、労働組合の中央執行委員を務め、司法試験の勉強も続けていたことから、ついに倒れてしまいます。1ヶ月の入院中、「ワーク・ライフ・バランス」について自問自答する日々を過ごしました。

退院して職場復帰すると、長銀は、信用不安の中にいました。株の持ち合いを解消したいという取引先に継続保有や新規購入をお願いしたりしましたが、株価は下落の一途。国会でも長銀の経営問題が取り上げられ、民主党の議員立法である金融再生法に基づき、1998年10月の国有化を迎えます。

頭を下げて持ち続けてもらった株は紙くずとなりました。一度失った信頼は、簡単には戻りません。この逆境の中で、しなたけしは長銀に残り、自ら希望して法務部に異動しました。その後、外資系ファンドによる銀行の買収で、長銀は新生銀行に名前を変え、経営陣もすべて入れ替わりました。

これまでの日本人の経営とはまったく違うマネジメントに順応しつつ成果を出さなくてはいけないという新たな逆境の中、しなたけしは、大型百貨店の経営再建問題への対応など判断が難しい案件について、法的な見地からアドバイスをしていました。仕事を通じて法律の専

銀行の法律知識

門知識を磨き、2001年、ついに司法試験に合格。2003年から新生銀行の社内弁護士として新たなスタートを切りました。

2006年、それまでの銀行員、社内弁護士としての経験を踏まえ、友人の弁護士と一緒に、『銀行の法律知識』を書き上げます。通常、法律家は銀行実務にうとく、銀行員は法律に詳しくない。両方を経験したからこそ書ける実務に耐える法律書になっています。

社外での弁護士活動として、刑事弁護事件やクレサラ事件も経験。東京弁護士会では犯罪被害者支援委員会の副委員長として犯罪被害者の支援に取り組むなど、公益活動にも積極的に参加しました。

衆議院補欠選挙に立候補

2007年1月、みずほ証券に転職。仕事の幅を広げ、法律家として末長く金融界に貢献していこうと思った矢先に、転機が訪れます。

高校、大学の先輩である達増岩手県知事(前衆議院議員)から「僕の後継として岩手1区で頑張って欲しい」と後を託されたのです。思いがけない話に驚きつつも、「郷土のために役立ちたい」という思いから、家族や職場の理解を得て、政界への転身を決断。2007年5月、政治経験も知名度もゼロという逆境の中で、衆議院補欠選挙への出馬を表明しました。以来2か月余り。最初は何もかもが手探りでしたが、達増知事やその後援会の方々の厚い支援、同時期に選挙戦を戦った平野達男参議院議員ほか民主党の諸先輩方の的確な指導、そして行く先々での温かい励ましの声に支えられ、次第に政治家としてなすべきことを学んでいきました。

選挙運動期間中は、炎天下、1日に100箇所以上の街頭演説と5、6箇所の集会をこなすという超ハードスケジュールもありましたが、野球で鍛えた体力、精神力と金融や弁護士の仕事で培った説得力で乗り切り、急速に支持を拡大。参議院と同じ7月29日に行われた補欠選挙では、予想を上回る10万2987票を得て、初当選を果たしました。

逆境があるからこそ、夢がかなう。

しなたけしは、今、ご支持いただいた皆様の「期待」を「信頼」に変えられるよう、日々の仕事に全力投球で取り組んでいます。