2日、大船渡市の猪川地区公民館で黄川田徹代議士の国政報告会が行われ、弁士として平野達男復興担当大臣と共に伺いました。同市の後援会長である田村誠県議の司会で、来賓として戸田公明市長にもお越し頂きました。

黄川田代議士は、岩手県選出の衆議院議員の先輩、そして母校盛岡一高の先輩です。高校時代は野球部を大いに力づけてくれる応援団でした。公私ともお世話になりっぱなしの黄川田先生のお役に立てばと、いつもとは逆に、私が応援団として大船渡に馳せ参じました。

大船渡と言えば、私は28年前の大船渡高校野球部を思い出します。春夏とも甲子園に出場。特に春のセンバツでは岩手県勢として初めてベスト4に進出しました。エースの金野投手は直球は130km程度でしたが、絶妙のコントロールと緩急自在のピッチングで甲子園では4試合戦ってわずか3失点。私は金野投手ら主力選手と同学年で、当時の岩手の高校球界では「打倒大船渡」が合言葉でした。

その後、岩手の高校野球では長らく全国レベルの投手は出ませんでしたが、花巻東高校から3年前の菊池雄星投手に続き、今年は大谷投手という超逸材が生まれました。投げては160km、打っては全日本で4番という別格の凄さです。それでも金野投手のように全国で勝ち進めなかったところが、団体競技たる野球の難しさであり、おもしろさでもあります。

私は、そのようなエピソードを述べた後、民主党岩手県連につき自戒を込めて語りました。「3年前の総選挙の後、岩手県では野球チームと同じく9人の国会議員がいました。しかも全員民主党。政権与党となり、この9人が力を合わせ、それぞれの役割を果たしていれば民主党ももっといい政権になったはず。しかし、残念ながらそうはならなかった。」

「大谷投手と同じく水沢出身の剛腕(元)党首が岩手県連にもおられ、この方に頼ったり遠慮したりする雰囲気があった。今回の分裂で民主党に残ったのはこの場にいる三人だけだが、『三人寄れば文殊の知恵』ということわざ通り、知恵と力を出し合って民主党を立て直さなければならない。」

黄川田代議士も私も、来るべき総選挙は政治生命を賭けた戦いになると思います。しかし、大船渡など被災地の方々のご苦労に比べれば、選挙の大変さなど取るに足らないことです。「次の選挙ではなく、次の世代や大船渡の未来を考えて、三人で頑張っていく」と決意を述べ、あいさつを終えました。