24日、政府が来年度予算案を閣議決定。年内の政権与党としての仕事は、大きなヤマを越えました。

私自身も、政務官として関わっていた二つの仕事が前進しました。21日には、法曹養成制度の評価検討会の報告書がまとまりました。鳴り物入りでスタートした法科大学院の志願者が急減し、多様な人材が集まりにくくなっていることなど法曹養成制度の危機的状況を指摘し、制度を所管しない総務省がこれから客観的、専門的な評価を進めることとしました。

22日には、民主党の公務員制度改革プロジェクトチームの報告書がまとまりました。これまでの人事院任せの無責任な労使関係ではなく、労使が真剣に交渉し、国民に責任を負う労使関係に改め、緊張感と働きがいのある公務員制度の確立を目指そうというものです。

改めてこの1年を振り返ってみると、立法府、行政府、司法府という三つの国家権力と向き合いながら仕事をした、多忙ながら密度の濃い日々でした。

行政府との関わりでは、9月半ばまで総務大臣政務官を務めました。1月からは公務員制度改革担当を兼務することを命じられ、公務員制度改革法案を立案し、仙谷大臣や大島副大臣と共に、国会での答弁にも幾度となく立ちました。

この法案は幹部官僚の人事制度を抜本的に変えようとするもので、同時並行で進めた天下り廃止後の退職管理方針や新規採用の4割削減と共に、行政の担い手である公務員人事が時代に合ったものになるよう改革に努めてきました。

立法府との関わりでは、参議院の通常選挙が7月に行われ、民主党が大敗してねじれ国会となってしまいました。私は工藤堅太郎県連代表(当時)に代わって県連選対本部の事実上のトップとなりましたが、主浜候補圧勝、工藤候補落選という中途半端な結果となりました。

10月からの臨時国会では、総務委員会、法務委員会、倫理選挙特別委員会の三つの委員会で理事を拝命し、野党理事と向き合って一つでも多くの法案を通過させるべく交渉を重ねました。会期中には事業仕分けの仕分け人の仕事もあり、不眠不休に近い日々が続きました。

司法府との関わりでは、上記の法曹養成制度の問題に取り組んだほか、同期当選の石川知裕代議士が1月の通常国会直前に逮捕される異常事態となり、他の同期議員らに呼び掛けて「石川代議士の逮捕を考える会」を立ち上げました。

政府高官による準司法権たる検察への介入だとして、私は野党から国会で追求を受けましたが、「国会議員の不逮捕特権が憲法で保障される趣旨から、国会議員でもある私がこの問題を考えるのは当然の責務だ」と反論しました。

その後、9月の中国人船長釈放の際には、政府は検察の事件処理にもっと積極的に関与すべきだったという批判もあり、検察を含めた司法と政治との関係については、さらに議論を深める必要があります。

来年は、三権のうちいずれの分野と関わりが深くなるのか分かりませんが、この1年の貴重な経験を活かし、国政の信頼回復に全力を注ぎます。