29日、立憲民主党の東日本大震災復興本部の本部長代理として、同僚議員らと福島第一原子力発電所を視察しました。福島第一原発の視察は、2013年12月以来です。当時、原発周辺の地域は通行が規制され、防護服を着込んで原発敷地内に入り、汚染水を保管するタンクを作ったり、使用済み核燃料をプールで冷却したりする現場を見ました。
あれから約10年が経ち、汚染水は処理水となって海への放出が始まり、全電源喪失の際に溶け落ちた、デブリと言われる核燃料の取り出しが間もなく始まるようです。原発までの移動の負担も減りました。前回は、福島県南のいわき駅からバスで北上し、途中の楢葉町にある「Jビレッジ」で専用車両に乗り換え、約2時間かけて原発に向かいました。
今回は、富岡駅からバスに乗って20分程度で到着し、防護服に着替える必要もなくなりました。帰還困難区域も狭まり、道路沿いには新築住宅も見かけました。ただ、富岡町では事故前の人口が約1万6千人だったのに対し、現在の人口は2千人程度、原発がある隣の大熊町は、1万4千人が6百人になっています。本当の「復興」はこれからです。
原発の敷地内も10年前とは異なり、汚染水のタンクの増設工事は終わり、タンクの水を浄化して海水で薄め、海に放出するための配管と巨大な設備が作られていました。爆発した1号機から4号機の破壊状況や廃炉作業の様子を近くの高台から見られるようにもなっていました。事故当時、使用済み核燃料が大量に保管され、冷却プールが干上がれば甚大な放射能汚染が発生すると言われた4号機は、使用済み核燃料の移動が終わっていました。
しかしながら、日々発生する汚染水の量は減ったとは言え、発生し続けています。汚染水の発生源である原子力建屋について、政府の説明では、廃炉作業を2051年ころまでに終えることになっています。そこで、視察に同行して頂いた東京電力の担当者に、「原子力建屋の解体処分も含めて2051年ころに終わるという理解でよいか」と尋ねたところ、「『廃炉』の定義がはっきりしないので何とも言えない」と言葉を濁しました。
福島第一原発の広大な敷地の中では、毎日4千5百人もの作業員が働いているそうです。出口が見えない中で「苦行」に取り組む姿には、10年前と同様、頭が下がります。
岸田政権は、民主党政権時に決めた「原発の運転期間を40年とし、原子力規制委員会が認めた場合に限り20年以内で1回限りの期間延長を認め、原発の新増設をしない」というルールをあっさり変え、原発の活用に突き進んでいます。それより前に、多くの献身的な作業員と一般国民に対して、廃炉の出口を見えるようにするのが当然の責務です。