10日、先の衆議院総選挙の当選者465人が初めて集う特別国会が召集されました。私たち立憲民主党の仲間は、総選挙の前から13人減って96人となりました。落選者の中には、著名な政治家や、党の重鎮など、私が慕ってきた先輩方もいます。

本会議場の議席は、最前列から当選回数の少ない順番に席次が決まります。私も新人の時は最前列にいましたが、徐々に先輩方が少なくなり、今回6期目の私は、後ろから3分の1ぐらいの位置となりました。議席からの風景の変化に、時の流れと責任の重さを感じます。

その中で、見事に初当選を果たした仲間の議員が16人います。そのうち小選挙区で当選した方は7人で女性は2人しかいません。その一人、「吉田晴美」さんは、東京8区で自民党の大物議員と日本維新の会の新人を相手に回し、比例復活を許さない見事な勝利でした。

ただし、ここに至るまでには大変な苦労がありました。初めて国政選挙に挑戦したのは2013年の参議院選挙で、岩手選挙区から立候補しました。当時は民主党でしたが、今以上に党は危機的状況にあり、前年の衆議院総選挙の直前に党が分裂し、選挙後の議席数は57に激減していました。そのような中、参議院岩手選挙区で民主党の公認候補に内定していた現職議員が突如離党し、選挙直前になっても候補が決まらない異例の事態となりました。

当時県連代表を務めていた私が、手を尽くしてやっと探し当てた候補が「吉田晴美」さんでした。無所属となった現職候補以外にも、与野党から候補者が乱立する中で、彼女は国政初挑戦で知名度ゼロ、しかも山形県の出身で岩手県との縁も深くなかったことから、厳しい選挙戦を強いられました。しかし、逆境にひるむことなく、持ち前の明るさと情熱で訴える姿が、支援者の共感を集めていました。

その後、惜しまれつつ衆議院の東京8区に活動拠点を移し、前回2017年の総選挙に立憲民主党から立候補しましたが、この時も希望の党や共産党など野党候補が競合した結果、惜敗。その後、4年にわたって地道な活動を続け、ようやく当選が見えてきた今回の総選挙でも、直前にれいわ新選組の山本太郎代表が立候補する動きがありました。

並みの候補者であれば挫折してもおかしくない逆境の連続でしたが、それを乗り越えての今回の勝利は本当に立派です。彼女の事務所にお祝いを伝えに行くと、「筋を通すことを考えました」と明るく語ってくれました。立憲民主党も逆境にあり、枝野代表の後継者を決める代表選挙が間もなく始まります。政権交代を目指す野党第一党にふさわしい、太い筋が一本通るような代表選挙にしなくてはなりません。