26日、臨時国会が始まりました。初日に行われたのが菅首相の所信表明演説。政権発足から40日経って、ようやく初めての首相による国会演説です。期待して聴いていましたが、演説中に首相がマスクを着用していたことや、三密防止のために半数の議員しか議場に入れなかったことを割り引いても、熱気に乏しい盛り上がりを欠く演説でした。

その理由は、第一に演説が「断片的」だったこと。様々な政策が総花的に述べられていましたが、ほとんどの項目については、ツイッターのように140字前後の短い文章で語られていました。一番肝心な部分である、菅政権が目指す社会像については、たった112文字でした。

「自助、共助、公助、そして絆」の社会を目指すとしつつ、「自分でできることは、まず、自分でやってみる。そして、家族、地域で互いに助け合う。その上で、政府がセーフティネットでお守りをする。そうした国民から信頼される政府を目指します」と語ったのみです。

しかし、「国民から信頼される政府」かどうかは、厳しい社会・経済環境が続く中、「自助、共助」をどこまで求め、政府の「セーフティネット」がいかほどのものかによって決まります。そうした説明が一切ないため、菅首相が自己責任を重んじる印象が残りました。

第二に、演説が「事務的」だったことも、熱気や盛り上がりを欠いた理由です。「国民のために働く内閣」という言葉が表しているとおり、直面する課題を淡々と処理する方針であることは伝わりましたが、国民の胸に響く言葉は乏しかったと思います。

例えば、震災復興については「東北の復興なくして日本の再生なし」という、お決まりのキャッチフレーズはあったものの、福島以外の被災地について触れることはなく、同じ東北出身者として残念に思いました。

菅首相が所信表明演説で触れなかったこととして、日本学術会議が推薦した会員候補6人を任命しなかった問題があります。28日の代表質問で、立憲民主党の枝野代表や泉政調会長がその理由を尋ねましたが、いつものように日本学術会議の「総合的、俯瞰(ふかん)的な活動」を基準に判断したと答えていました。

断片的かつ事務的な内閣をつかさどる菅首相が、会員を自ら任命することによって「総合的、俯瞰(ふかん)的な活動」を日本学術会議ができるようになるとは到底思えません。菅首相は考えを改めるべきです。