16日は、安住淳代議士を本部長とする党震災復旧・復興推進本部のメンバーで宮古市を訪ねました。田老地区の高台移転工事現場の視察や、愛宕公園仮設住宅の皆さんとの懇談、市や商工会議所の幹部との意見交換など、被災地の実情を把握して間もなく始まる通常国会での議論に生かすのが主な目的です。
しかし、被災地以外では3年前の大災害の記憶が薄れつつある昨今、あの当時、何が起こったのかを多くの議員が再認識することも必要です。そこで、私の方から田老観光ホテルの松本社長にお願いし、同ホテル6階の部屋で津波当時のビデオを視聴させて頂きました。その場でしか見られないビデオを以前に一度見て、強く印象に残っていたからです。
地震が起きて30分ほど経ってからの映像では、防潮堤の向こうに1m程度の津波が来ているのが分かりますが、水位の上昇は緩やかで命の危険を感じさせるものではありません。しかし、当時この部屋でビデオを撮影していた松本社長が「そろそろ波が引くのではないか」と思った矢先、湾の入り口から巨大な波が猛烈なスピードで陸の方に押し寄せ、あっという間に6階の部屋のすぐ下まで津波の濁流に飲み込まれてしまいました。
ホテルの前にある万里の長城と呼ばれた防潮堤を津波が乗り越える瞬間、それまで海を捉えていたカメラが急に部屋の天井を向きます。松本社長は「津波が頭の上から襲ってくる気がして、とっさに手が動いたようだ」と説明されましたが、それも頷けるほどの津波の大きさと勢いでした。
現に体験した方の比ではありませんが、撮影した場所でこの映像を見れば、当時の驚きや恐怖を疑似体験できます。他人事ではなく自分事として震災や津波を記憶に留めることとなり、震災の記憶が風化することはありません。復興に関わろうとする意欲や自然災害に備える心構えも自ずと違ってきます。田老観光ホテルは、国の支援を得て震災遺構として保存されることが決まりました。津波の威力で3階まで鉄骨がむき出しになった外観と合わせ、この場所を訪れた人に多くのことを語りかける貴重な場になるでしょう。
翌17日には、原口一博代議士を会長とする党地域主権調査会のメンバーで遠野市を訪ねました。ここでも、新設された市の総合防災センターにおいて、震災直後の市民への救援活動や沿岸被災地への支援活動の様子を、当時の災害対策本部で作成された手書きメモのパネルなども用い、臨場感のある方法で展示していました。遠野物語で有名な遠野市では、地域の昔話を伝える語り部が活躍してきました。震災と津波についても、映像やパネルなど現代的手法を交えつつ、何が起きたのかを伝える語り部の役割が重要だと感じました。