平成という時代を語る上で、イチロー選手は欠かせない存在です。平成3年にプロ野球に入り、平成12年に大リーグに移籍し、今日に至るまで、28年にわたってほぼ現役で活躍し続けました。この間、私はイチロー選手の試合を生で観戦したことが二度あります。一度目はオリックスで活躍していた平成11年に東京ドームで。彼が打席に入るたびに観客席はフラッシュの嵐でした。二度目は大リーグの最多安打記録を達成した平成16年にシアトルで。たまたま私が観た試合ではヒットが出ず、がっかりした記憶があります。
いずれも私が国会議員になるはるか前、銀行員や弁護士をしていた頃の話です。それ以降も45歳の今日まで競争の激しいメジャーリーグで生き残るとは、想像を絶する偉業です。とくに選手登録を外れた昨年5月からは、まさに「一浪」して黙々と練習を続けた結果、イチロー選手の引退試合は野球界を次世代につなぐ試合にもなりました。
それを象徴するのが、イチロー選手が途中交代でグラウンドを去る際、この試合でデビューした雄星投手と抱き合い「頑張って」と声を掛けたシーンであり、感動しました。雄星投手は大谷選手とともに、平成後の新時代の野球界を代表する選手になると確信しました。
もう一人、岩手の次世代につなぐために頑張ってこられた「イチロー」が県内にいます。三陸鉄道の社長を務める中村一郎さんです。23日、岩手県の三陸沿岸163kmを結ぶ「リアス線」が開通しました。宮古―釜石間は、震災前にはJRが経営していましたが、震災で鉄道施設が壊滅的な被害を受けたためBRT(鉄道の軌道で走らせるバス)に切り替えようとしました。それでは従来から三陸鉄道が経営していた北リアス、南リアス線との間で鉄道網が分断され、住民にとっても観光客にとっても不便になってしまいます。
鉄道の復旧を目指して私もJR東日本にかけあい、JRが資金を出して鉄道を復旧し経営は三陸鉄道に引き継ぐことが4年ほど前に決定。「八浪」を経て、ようやく全線開通にこぎつけることができました。岩手県の復興局長などを歴任し、平成28年6月に就任した中村社長は、今日まで経営移管の準備や利用客の拡大に向けて全国を駆け回ってきました。その一助になればと、中村社長を東京にお招きし、私の銀行員、弁護士時代の先輩や友人を集めた場で三陸鉄道のPRをしてもらったこともあります。
全線開通の祝賀会の場で中村社長にお会いし、これまでの御苦労をねぎらい、お祝いを申し上げましたが、「これから利用客を増やさなくてはいけない」と引き締まった表情でした。こちらの「イチロー」も次世代を見据えています。三陸鉄道がイチロー選手と同様、長きにわたってフラッシュの光を浴び続けられるよう、みんなで応援しましょう。