「身の丈に合った生活を送る」とは、ぜいたくを避け、なるべく自分の収入の範囲で暮らすことを指します。多くの家庭では、子どもの教育のために生活を切り詰め、「身の丈」以下の生活をしてきました。子どもが大きくなって社会で活躍することを願うからです。

これからますます少子高齢化が進み、社会や経済を支える人口に比べて支えられる人口の割合が増えていきます。資源に恵まれず災害が多発する日本の繁栄をこれからも維持するには、子どもたちが教育によって能力を伸ばす機会が広く与えられなくてはなりません。

そして、憲法は「法の下の平等」を定めています。とくに、教育については「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と定め、平等を強調しています。生まれ育った地域や経済状況によって、教育に格差が生じてはならないということです。

1日に急きょ延期が決まった大学入試への英語民間試験の導入は、試験会場が近場にあって様々な種類の試験が受けられる大都市圏の受験生や、高額な受験料を何度も払える経済的に豊かな家庭の受験生にとって、明らかに有利な制度でした。能力とは関係ないところで差がつく制度を国がつくることは、国の発展を阻害し、憲法の定めにも反します。

萩生田光一文科大臣は、この問題に関して「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえば」と、地域や経済状況による格差が生じてもやむを得ないかのような発言をしました。教育機会の平等の重要性を理解しておらず、文科大臣を務める資格はありません。萩生田氏は文科大臣就任前には自民党の幹事長代行として、憲法改正を進めるため衆院議長のあり方にも注文を付けていました。教育に関する重要な憲法の規定も理解しないまま、憲法改正を論じていたことになります。それこそ「身の丈」に合っていません。

萩生田文科大臣だけでなく、「身の丈」に合わない地位に就いた大臣が二人続けて辞任しました。菅原一秀経産大臣は、不適切な金品受領を繰り返していた関西電力を指導する立場でしたが、自ら選挙区の有権者に金品を配っていました。河合克行法務大臣は、国の法秩序を守る立場でしたが、夫人の選挙運動で公職選挙法に反する行為が行われていました。

こうした「身の丈」に合わない大臣を任命してきた安倍首相自身の責任も問われます。安倍首相がこのまま政権を維持し続けた場合、今月20日に憲政史上最も長い在任期間となります。これまでの安倍首相の言動、実績を振り返るに、それが「身の丈」に合ったものとは到底思えません。英語民間試験と同じく、民意の力で誤りを正したいと思います。