令和初の夏の甲子園の岩手県代表は、花巻東高校に決まりました。2年連続での甲子園出場、おめでとうございます。また、決勝で敗れたとは言え、全国から注目を浴びた大船渡高校の活躍も見事でした。今回は、政治を離れて、このことに触れたいと思います。

エースの佐々木朗希投手は、高校生というより日本人離れした恵まれた体格の持ち主。これを存分に生かした豪快な投球フォームから繰り出す、高校史上最速の163kmという速球は、まさに常識離れした凄さでした。それだけに甲子園での活躍も見たかったところですが、決勝戦は「故障を防ぐ」という理由で国保陽平監督が起用せず、甲子園出場は果たせませんでした。

この国保監督の判断に賛否両論があります。私は、佐々木投手をずっと見守ってきた国保監督が「一番、壊れる可能性が高い」と考えた以上、正しい判断だったと考えます。しかしながら、普通の監督は、世間の批判を恐れたり、念願の甲子園出場に目がくらんだりして、なかなかできない判断だとも思います。目の前の勝利より、選手の将来を優先した国保監督に敬意を表します。

なお、佐々木投手が準決勝で129球を投げ切って勝ったにもかかわらず、翌日の決勝も投げさせるべきだったという往年の名選手などもいますが、そこに納得できる説明はありません。そもそも佐々木投手は現在の日本のプロ野球選手の誰よりも速い球を投げている以上、肩やひじにかかる負担もプロ選手と同等以上になるはずです。

加えて、まだ成長過程で骨格が固まっていない高校生です。本来ならプロ選手よりも休ませた方がいいように思いますが、実際にはプロの先発投手は1週間に1度、涼しいナイターやドーム球場で投げることが多いのに対し、高校野球では勝ち進めば進むほど、連日、炎天下で投げなくてはなりません。なぜプロより高校生の方が過酷な条件で戦わなくてはいけないのか、きちんと説明して欲しい気がします。

令和という新時代を迎え、夏の甲子園も101回目となります。そろそろ、いい選手であればあるほど酷使され、将来の可能性を奪われがちな高校野球の「常識」を変えるべきではないでしょうか。

佐々木朗希投手は、野球の能力という点で高校野球の常識を変えた逸材であるばかりでなく、大会運営のあり方という点でも高校野球の常識を変えたと言われる日が来ることを望みます。まずは、炎天下の連戦をなくすべきです。