今国会の重要法案として、「働き方改革関連法案」が挙げられています。ただし、法案の要綱を読む限り、どこにも「働き方改革」という言葉が出てきません。政府の資料などから忖度すれば、「働き方改革」とは、「労働者がその能力を有効に発揮できるようにするために必要な労働に関する施策」を実行することを指すようです。

そして、「働き方改革」の目的としては、「労働者の職業の安定と経済的社会的地位の向上とを図る」ことに加え、「経済及び社会の発展並びに完全雇用の達成に資する」ことが挙げられています。前者が実現できれば働く人にとってプラスです。しかし、後者が重視されれば、働く人が経済成長の道具として扱われ、かえってマイナスです。現に安倍首相は、先日の施政方針演説で「働き方改革は成長戦略そのものだ」と述べており、不安が的中しそうです。

私は、働く人の立場に立った真の「働き方改革」は、三つの「働き過多」を防ぐものでなくてはならないと思います。

まず、心身との関係での働きの過多です。これは、過労死など心身に異常が生じるほど労働時間が長過ぎる状態です。政府は対策として、罰則付きの残業時間の上限を年720時間、月100時間とするルールを提案しました。方向性としては正しいのですが、月100時間の残業を認めることで過労死などを招かないかどうか慎重に検討する必要があります。

次に、収入との関係での働きの過多です。これは、非正規社員は正規社員と同じ仕事をしても賃金が低いため、同じ収入を得るにはより多くの仕事をしなくてはならない状態です。政府は対策として、「同一労働同一賃金」ルールを提案しました。これも方向性は正しいものの、同一労働かどうかを杓子定規で決めると同一賃金が認められる範囲が狭くなります。「同一価値労働同一賃金」という考え方を取って、同一賃金をより広く認めるべきです。

最後に、成果との関係での働きの過多です。これは、仕事上の成果を十分に上げても、働き続けなくてはならない状態です。政府は対策として、労働時間に縛られず一定の収入が得られる「高度プロフェッショナル制度」や「裁量労働制」の新設・拡大を掲げました。しかし、企業側のやり方次第では、働く人を「定額使いたい放題」にする危険があります。これでは、心身との関係でも、収入との関係でも、働き過多になってしまいます。

働き方改革は、心身・収入・成果の面で働きの過多をなくし適正な水準とする施策を実行することで、働く人の尊厳を確保することを目的とするべきです。それが結果的には働く人の意欲を高め、経済成長にもつながるのではないでしょうか。