12日、政調会長としてBSフジの「プライムニュース」に出演、憲法改正について議論しました。安倍首相は、現在の憲法9条に書かれている「戦争放棄」(1項)と、「戦力不保持」や「交戦権否認」(2項)はそのまま残し、自衛隊の存在を明文で認める規定を9条に加える考えです。

その理由は、自衛隊は憲法違反だとする主張をなくすことにあります。しかしながら、今や圧倒的多数の国民が、自衛隊は我が国にとって不可欠の存在だと考えています。自衛隊は憲法違反だから廃止すべきだ、という考えの国民は極めて少数です。

加えて、国民を外敵から守るために自衛隊のような実力組織を持つことは、国民の生命、自由につき「国政の上で最大の尊重を必要とする」と定める憲法13条がある以上、当然認められるというのが、日本政府の一貫した見解でした。

政府の見解と異なる「自衛隊が違憲だという人たち」の声を受けて自衛隊を憲法に書き込むのであれば、同じく政府の見解と異なる「集団的自衛権の行使を違憲だという人たち」の声は、人数的にも圧倒的に多い以上、なおさら重く受け止めるべきです。集団的自衛権の行使に賛成する与党側は、憲法に書き込むことで違憲の疑いをなくすのが筋です。

「なぜ集団的自衛権の行使には触れないのか」と私は疑問を呈しましたが、与党の議員からは納得できる説明がありませんでした。より憲法違反の疑いが強いものを放置し、疑いが弱いものをわざわざ憲法に書き込むのは矛盾であり、必要性が乏しいと言えます。

集団的自衛権のほかにも、憲法違反の疑いが強いものがあります。その一つが、内閣の衆議院解散権です。憲法69条で、衆議院による「内閣不信任案の可決」か「内閣信任案の否決」の場合に、内閣は衆議院を解散できることになっています。しかし、それ以外のいかなる場合に内閣が衆議院を解散できるかについては、憲法に定めがありません。

誤解を恐れずに言えば、国会が首相を指名する日本では、国会と内閣の関係は「親」と「子ども」の関係に似ています。内閣による衆議院の解散は「子ども」が「親」を殺すようなものです。これが許されるのは、「内閣不信任案の可決」や「内閣信任案の否決」のように、「子ども」が「親」に殺されかけたような場合に限られる、と考えるのが自然です。

隠し事を咎められるのが嫌だと言って、「子ども」が「親」を殺すことは許されません。これがまかり通りそうな現在、憲法にまず書き込むべきは内閣の解散権を制限する定めです。