6日、再び予算委員会で質疑を行いました。政府は、今国会で設けようとする「テロ等準備罪」につき、これまで3回廃案になった共謀罪とは違い、一般人の人権を侵害する危険は小さいと主張します。その理由の一つに、「共謀」だけでは処罰せず、これに加えて「準備行為」が必要なのだ、ということを挙げています。

だとすれば、「準備行為」が本当に人権侵害の歯止めになるかを確認する必要があります。そこで私は、①「共謀」した犯罪の内容を書面に書いただけでも「準備行為」になるのか、②「準備行為」の段階で処罰するにせよ、捜査は「共謀」の段階から始めるのではないか、という基本的なことを金田法務大臣に尋ねました。

しかしながら、金田大臣は、官僚の助けを借りつつも、「法案の成案を得た後、説明する」の一点張りで疑問は解消されませんでした。私以外にも、この日は何人かの議員が金田大臣に基本的な質問をしましたが、答弁が二転三転したり、質問と無関係なことを答えたりで、審議は何度も中断しました。金田大臣は、国会での審議に耐えかねたのか、その日の夕方、部下の官僚を通じて一枚の紙を報道機関に配布。これが大問題になりました。

私たち国会議員に対し、「法案提出まではテロ等準備罪について質問するのを控えてほしい」、「法案提出後もテロ等準備罪について質問するのであれば、基本的なことも含めて役人に答弁させてほしい」という内容だったからです。金田大臣は、首相と共に国会の内外で「テロ等準備罪はこれまでの共謀罪と全く違う」、「一般市民は処罰されない」と大宣伝しておきながら、それを確認するための質問は封じようという態度はあまりに身勝手です。

また、そもそも憲法に基づき、国会には政府を監視する権限があります。監視される側の政府が監視する側の国会の質問のあり方に注文を付けることは、憲法上も許されません。上記のような文書を金田大臣は法務省幹部と共謀した上で報道機関に配り、報道の力を借りて国会審議を政府の都合のいいようにコントロールしようとしました。これは、憲法上与えられた国会の政府への監視機能を奪い、国会を事実上の死に至らしめる危険があります。金田大臣の取った行動は、その本質的意味において、「テロ等準備行為」なのです。

8日の質疑では、こうした論拠を述べ、金田大臣に「文書の撤回や謝罪だけでは事態を収束させられないのではないか」と追及したところ、「私はちょっと、私の頭脳というんでしょうか、ちょっと対応できなくて申し訳ありません」と気の抜けるような答えでした。国会と国民に説明責任を果たせず、今回の文書の重大性も理解できない金田大臣に、国民の人権を侵害しかねない重大な「テロ等準備罪」を新設する任務が務まるはずがありません。